こだわり
こだわり
根岸の里

その昔(寛永の頃)根岸に続く金杉入谷は音無川の清き流れに恵を受け、のどかな庶民の街であり、 ことに根岸の里は御行の松の雄大な枝ぶりの姿と共に文人墨客、 大商人の別荘等により静かなたたずまいとして世に知られて来ました。音無川は王子権現下より石神井川源流を分流し根岸へ流れ込み、 このかいわいの農地用水として引き込まれ、水田の稔を豊にして上質米が収穫出来たのであります。その頃庶民にはこごめ餅が大へん喜ばれていました。

御行の松近く音無川ほとりの茶屋がこの「こごめ餅」に餡を包み入れ、 江戸時代の中期に上野輪王寺宮(五代目)公弁法親王へ献上致し大そうお誉めを頂きこれを『こごめ大福』とお名付け下され、のち庶民に広く愛された茶菓子でありました。 竹隆庵岡埜は古き良き時代の根岸を語りつぎ度く、伝統の技法に近代味覚を加味し名残りの姿に作り上げました。 この『こごめ大福』を下町根岸と共にのちの世迄、広く御進物又御茶菓子に御用命の栄を賜り度く、伏してお願い申し上げます。

竹隆庵岡埜で一番こだわっているのは「こごめ大福」です。産地は、毎年毎年きめられた場所ではなく、その時にとれた良いモノを選別しています。 千葉・茨城・新潟・山形など、我々の味に合う素材をブレンドしていくことが多いんです。また季節によっては、水分量を変えたりして作り方を変えたりもしています。

小豆は北海道は富良野・十勝産を使用することが多いですね。稀(10年に1回ぐらい)不良の時がありますが、その時は北海道の様々な場所から小豆を集めることもあります。 餠米は千葉産を使っています。昔は新潟産を使用していましたが、今はお彼岸・お盆の時期に新米を使用しているので、 出の早い(新潟産より約1ヶ月近く早い)千葉産が比較的に安定して、強い産地だと思っています。また都内からアクセスが良く、 農家さんと頻繁にコミュニケーションがとれるのもメリットです。

餡子(あんこ)の場合、砂糖は一般的な上白糖ではなく「ざら(白ざら糖)」と呼ばれる不純物がなく、純度の高い(約99%)砂糖を使用しています。 余談ですが、ダンゴのタレは口に残りやすい上白糖を使用することが多く、そうやって砂糖も色々使い分けをしています。 お水はアルカリイオン水のみ。ヨモギは茨城・群馬産と。竹隆庵岡埜は国産にこだわって、優れた素材を使用しています。

元来、大福餅は「福が沢山くるように・・・」と大きいモノが主流でした。昔は大きいモノで120gの大福餅もあったとききます。 ただ時代の移り変わりとともに、サイズがどんどん小さくになってきました。その点、竹隆庵岡埜の「こごめ大福」はとても大きいし重量感があります。 ぜひ一度、こだわりが沢山詰まった餅と餡子を頬張っていただきたいです。

子供の頃から父(現:会長)の影響で、すでに和菓子に興味がありました。小学校の卒業アルバムにも和菓子屋さんになりたいと書いてあったと思います。 どちらかというと、工作や勉強より体を動かすことが好きでした。小学校、中学校、高校はバリバリの体育会系で、剣道で関東大会の出場経験もあります。 高校時代にはお茶の経験もしました。それから「菓心 たちばな」、「和菓子の叶 匠壽庵」を経て、現在の『竹隆庵岡埜』に務めています。 はじめは、柳通りの小さなお店でスタートして、その2階(3つ部屋があり)家族4人と職人さん、お手伝いさんと6、7人で一緒に生活しながらやっていました。 ただ苦労はしましたが、はじめから和菓子の世界に抵抗なく入れたと思います。 もちろん父の影響もありますが、食べること、甘いもの(洋菓子も)が好きだったので、 「伝統を守る」とか「昔のモノを今に引き継ぐ」といったプレッシャーみたいなモノはほとんどなかったです。

現在は、新しいモノを考えたり、試したりと、クリエイティブなことをメインに、商品開発を自ら率先して行っています。 父(現:会長)の代ではこごめ大福、とらが焼き、館最中の3点でしたが、その後の商品は2代目(現:社長)のわたしが手がけたモノが多いです。 パッケージや商品ロゴなどもわたしが手がけています。今後も、「江戸の粋」をテーマに『こごめ大福』のような餠米と小豆と砂糖だけ。 混じりっけのない、シンプルで粋なお菓子を作っていきたいです。粋とは、「色気」です。 下町らしい色気のあるお菓子。粋を表現することをテーマに様々なことにチャレンジしていきたいと思っています。 また、和菓子屋というのは家業であって、企業ではないので。 営利目的だけではなく、お土産屋さんや販売店にお菓子を作ったり、お祝いのお菓子や赤飯を作ったり、町の生活のためにお菓子作りする。 そんな自然なスタンスで、これからも美味しい和菓子をより多くの方々に召し上がって頂きたいと思っています。

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